はじまりの唐津城

唐津城跡本丸出土桐紋軒丸瓦/唐津城本丸出土金箔瓦 (唐津市教育委員会)
17世紀初頭に寺沢広高により築かれたとされる唐津城だが、当時の記録や近年の発掘調査では、それ以前に豊臣政権による別の唐津城が同地に築かれていた可能性が示唆されている。
吉見元頼(津和野領主)の従軍日記である『朝鮮陣留書』によると、天正20年(1592)に唐津の港において豊臣家の役人達や城の存在があったことが記されており、島津家の記録である『征韓武録』には、天正19年(1591)に名護屋・唐津の「両城」の築城を秀吉より命じられたことが記述されている。
近年の唐津城の発掘調査では、豊臣家の家紋が入った軒丸瓦や、金箔入りの瓦片などが出土しており、文禄・慶長の役に際し、豊臣秀吉により重要港の拠点が築かれていた可能性があることが示されている。
関ケ原の戦いの後、寺沢広高は、豊臣政権により築かれた唐津城を破却、または、一部利用しながら、新たな唐津城を築き直したのだろう。