2024年1月26日

寺沢広高の人物像

寺沢家の家紋(陣幕紋) 陣幕を模した寺沢家の家紋。三ツ幕紋とも呼ばれる。 寺沢家の家紋は蟹が描かれた蟹紋も伝わっている。

大名としての寺沢志摩守広高が残した業績については、城下町唐津の基礎を築いた一方で、島原の乱の間接的要因を作るなど功罪含めて枚挙に暇がないが、彼自身の人物像について記録として残っていることは非常に少ない。しかし、その事跡を辿っていくと、あの危うい激動の時代を実に巧妙に生き延びた人物であることが浮かび上がる。
名護屋城を拠点とした朝鮮出兵の期間、若くして天下人・豊臣秀吉の側近として仕え、波多三河守親が秀吉に疎まれて改易されると、その旧領をそっくり受け継ぐ。そして秀吉が没すると徳川家康に近づき、関ヶ原では東軍について功績を挙げて本領を安堵され、江戸幕府成立とともに初代唐津藩主となった。
まさに機を見るに敏といった立ち回りだが、一方では幕府成立以前から誰に咎められることもなく唐津城と富岡城の築城を始めていたとされており、大胆さも兼ね備えていると言えるだろう。

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