2024年9月19日

唐津城築城期の新説

肥前国唐津城廻絵図(国立公文書館所蔵)/唐津城絵図(唐津市所蔵) 左は正保年間(1644〜1648)のもので、唐津古城存続期の様子を描いたものと思われる。 右は江戸時代中期の水野氏の治世期(1817〜1871)のもの。

初代藩主寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602)に築城されたとされる唐津城だが、近年の発掘調査により天正19年(1591)頃に肥前名護屋城と同時期に築城された「唐津古城」ともいうべき遺構が発見されたことで、唐津城の歴史が大きく見直されることとなった。
唐津古城は豊臣政権によって天正19年から慶長3年頃にかけて満島山の山頂部から裾野までを範囲として築かれ(唐津古城築城期)、寺沢氏が入封してからも慶長7年頃まで存続した(唐津古城存続期)。それから慶長7年に二の丸・三の丸を拡張して整備し(唐津新城築城期)、慶長年間後半のある時点で本丸の大改修がなされ(唐津新城改修期)、現在も残る石垣で構成される姿となったという。
豊臣政権期の唐津城は文禄・慶長の役における戦略上の関連施設であると考えられている。単なる軍事拠点地でしかなかった唐津古城築城期よりも、近世城郭として再整備され現在の城下町唐津の町並みが形成された新城築城期の方が人々の間で広く認知され、いつしか慶長7年築城という定説が根付いていったのかもしれない。

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