知っとーと 唐津トリビア

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2024.09.19

唐津藩最後の藩主 小笠原長国②

長国公御筆(宜不無) 唐津市蔵 嘉永二年(1849)、長国が26歳の頃に認めた書。自らの決意と願いを「宣不無(宜しからざるは無し)」の三字に込め、腹心の家臣たちに与えたとされる。 小笠原長国は唐津藩最後の藩主でありながら、彼の人物像を知る資料は殆ど残されておらず、地元で名君として知られる小笠原壱岐守長行と比べると、病弱で終生養子意識の取れなかった気弱な藩主と

2024.09.19

唐津藩最後の藩主 小笠原長国①

小笠原家の家紋(三階菱紋) 清和源氏の流れをくむ小笠原氏が用いた家紋。時の天皇より「王」の一字を象った家紋を賜ったが、畏れ多いとのことで似た形状の松皮菱紋を採用し、貞宗の頃に三階菱の形に改めたという。 小笠原佐渡守長国は唐津藩最後の藩主である。 藩政の指揮を執ること29年、財政再建に取り組み、知藩事就任後は耐恒寮を設立するなどの功績を残すものの、史誌の中では

2024.09.19

唐津城築城期の新説

肥前国唐津城廻絵図(国立公文書館所蔵)/唐津城絵図(唐津市所蔵) 左は正保年間(1644〜1648)のもので、唐津古城存続期の様子を描いたものと思われる。 右は江戸時代中期の水野氏の治世期(1817〜1871)のもの。 初代藩主寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602)に築城されたとされる唐津城だが、近年の発掘調査により天正19年(1591)頃に肥前名護屋城

2024.01.26

寺沢広高の人物像

寺沢家の家紋(陣幕紋) 陣幕を模した寺沢家の家紋。三ツ幕紋とも呼ばれる。 寺沢家の家紋は蟹が描かれた蟹紋も伝わっている。 大名としての寺沢志摩守広高が残した業績については、城下町唐津の基礎を築いた一方で、島原の乱の間接的要因を作るなど功罪含めて枚挙に暇がないが、彼自身の人物像について記録として残っていることは非常に少ない。しかし、その事跡を辿っていくと、あの

2024.01.26

唐津藩御用絵師 長谷川雪旦

『魚類譜』(国立公文書館デジタルアーカイブ) 長谷川雪旦(1778-1843) 天保期(1830〜1844)に斎藤月岑が著した『江戸名所図会』は、江戸時代の江戸の町を知るための、おそらく最良の書物である。町名主の斎藤家三代40年に及ぶ労作である地誌であるが、この書の魅力の過半は、数百点に及ぶ長谷川雪旦の挿絵にあると言っても過言ではない。雪旦は同著者による『東

2024.01.25

虹の松原の『大老の松』

大老の松 ●樹齢:293年 ●直径:約1.2m 大老の松を輪切り保存し、燻蒸処理をしてテーブルとして再生。 年輪には目印がつけられており、松が生きてきた293年の間に起きた出来事が記載されている。 唐津城1階に設置されているガラステーブルには、マツクイムシ被害のため枯死状態となり、平成21年に伐採されるまで、虹の松原における当時最古の松であった『大老の松』が

2024.01.19

はじまりの唐津城

唐津城跡本丸出土桐紋軒丸瓦/唐津城本丸出土金箔瓦 (唐津市教育委員会) 17世紀初頭に寺沢広高により築かれたとされる唐津城だが、当時の記録や近年の発掘調査では、それ以前に豊臣政権による別の唐津城が同地に築かれていた可能性が示唆されている。 吉見元頼(津和野領主)の従軍日記である『朝鮮陣留書』によると、天正20年(1592)に唐津の港において豊臣家の役人達や城

2023.06.13

近松門左衛門の唐津遊学

近松(ちかまつ)門左衛門は「曽根崎心中」などで知られる浄瑠璃の大作家だが、その伝記には謎が多い。 生地は越前とも長門・萩とも伝え、出自も武門とも医家とも。 またあの堀部安兵衛の兄という説もあるらしい。 ただ若年の頃に唐津に遊学したことは確からしく、本姓は杉森氏だが、筆名は唐津の名刹・近松寺(きんしょうじ)に因んで名乗ったという。 この寺には、門左衛門の遺髪塚